「地下環境と微生物 -地中温度の変化が生物圏へ与える影響について-」

広島大学大学院生物圏科学研究科 長沼 毅


地下生物圏研究の背景-深海熱水噴出孔

 フロンティアとは「最先端」という意味でよく使われますが、「辺境」という意味もあります。私は、地球生物圏のフロンティア(辺境)に生きる者に興味を持ち、深海生物の調査を行ってきました。太陽光の届かない暗黒の世界、そこでは光合成による生物生産はなく、もっぱら海洋表層からの‘おこぼれ’に頼って生きていくしかありません。しかし、深海底には地球内部から熱と化学物質(水素、硫化水素など)が湧き出す場所(熱水噴出孔)があり、それを利用した異質な生態系ができあがっています。光合成に依存した「太陽を食べる生態系」と、深海底で脈脈と生き延びてきた「地球を食べる生態系」があるということです。

 熱水噴出孔は海底面のニキビのようなもので、地球内部から熱と物質が噴き出すところです。噴出する高温熱水には高密度(105-6 ml-1)の微生物細胞が観察されました。周囲海水はもっと低密度(104-5 ml-1)でしたので、これらの微生物は周囲海水からの混入ではなく熱水中に存在していたと考えて良さそうです。しかし、300℃を超える高温で微生物は生きていけるのでしょうか?今まで知られている最高生育温度は113℃*ですから、熱水中に観察された微生物は高温熱水そのものではなく、他のどこかで繁殖していたものの一部が熱水噴出に巻き込まれたのだと考えるのが妥当でしょう。では、熱水中の微生物はそれまでどこで繁殖していたのでしょうか?おそらく、熱水噴出孔の下(海底下)に微生物の巣があって、その一部が熱水に巻き込まれて噴出したのでしょう。地下(海底下)に微生物ワールドが広がっていることを予想させる発見でした。

 *大西洋中央海嶺TAG熱水マウンドから採取された Pyrolobus fumariiという超好熱菌。


陸上地下の生物圏

 岐阜県土岐市と瑞浪市にまたがる東濃地科学センター・東濃鉱山(核燃料サイクル開発機構)では、地下環境における地下水流動や物質移動に関する基礎研究の一環として、5年ほど前から地下微生物の研究が進められています。

 東濃地域には日本屈指の花崗岩体が横たわっています。東濃花崗岩は日本最大のウラン鉱床の重要な母岩です。ここに1000 m級の調査孔を掘り、花崗岩内部の地球科学的性質を調べるのです。この調査孔は掘削や雨水による影響を最小限に抑えた日本でも有数の「きれいな孔」であり、地下微生物の研究に適しています。雑菌が混入しないように細心の注意を払って深度130~840 mまでの地下水(水温16~30℃)を採取すると、そこには地表付近とほぼ同程度の数の微生物が観察されました。

 東濃の花崗岩でも当初は「地下微生物の数は深くなるにつれて減少する」ことが予想されていました。しかし、花崗岩体は、海底下で地層をなす堆積岩と異なり物性が比較的均質なせいでしょう、1000 m程度の深度(20K程度の温度変化)では地下水中の微生物数に大きな変化は出ません。おそらく、地中温度が微生物の最高生育温度(113℃)に達するまでは、微生物数はほとんど減らないか漸減するくらいではないでしょうか。地温上昇率の大体の目安は20〜30℃/kmでしょうか。生物の生育温度上限を楽観的に120℃と考えると、地下4~5 kmくらいまでは微生物数が漸減し、生育温度の上限付近の深度で激減するようなイメージが描けるでしょう。

 この意味で、地熱発電のような深部地熱利用とは、地下深部まで「微生物的温度」を持ち込むことであり、微生物の生息深度を深め、地下生物圏の“容積”を増すことになります。これは単にサイズだけでなく、地下微生物の“種の多様性”にも影響するに違いありません。一方、地中熱ヒートポンプのような浅部地熱利用(<100 m)では、流体の授受がないので化学環境の変化は小さいし、温度変化も広域的には1~2K程度でしょうから、地下微生物の活動や多様性に甚大な影響を与えるとは考えにくいです。強いて申せば、60~80℃という温度帯は、粘土鉱物のスメクタイトがイライトに変換し始める(この変換により水分が供給される)温度帯なので、もしかしたら地下生物圏の水循環に関係した影響があるかもしれません。特に、浅部地下の通気帯(vadose zone)すなわち不飽和帯における水分移動の様式は未解明の部分が多いので、重要な研究テーマ*になるかもしれません。

 *榊ほか(2002)、月刊地球、号外36:68-74.


地底=光もなければ、酸素もない世界

 微生物の数(現存量)と並んで、微生物の種類(多様性)もまた地下生物圏研究の重要テーマです。東濃地域の花崗岩体には凹地があり、そこに15~16 Maの海底泥と18 Maの湖底泥が堆積してできた地層があります。この地層の一部である瑞浪層群は化石の宝庫として有名です。この堆積層から花崗岩体までを掘り抜いた調査孔から地下水を採取したところ、深度ごとに違った種類の微生物が生息していることが分かりました。

 地下環境では一般に浅部から深部にかけて酸素(O2)濃度(あるいは酸化還元電位)が低下し、酸素呼吸(好気呼吸)を行う種類が減少します。しかし、ある種の微生物は酸素(O2)を使わない呼吸(嫌気呼吸)を行うことができます。嫌気呼吸を行う微生物はそれぞれの種類に好適な酸化還元電位の深度に分布するので、全体として、酸化還元電位にもとづく‘棲み分け’が見られることになります。ただし、この‘棲み分け’に地中温度が関与しているかどうかは、実験的に原位置の温度を変えて(化学環境は変えずに)微生物の種組成を長期モニタしないと分かりません(が、おそらく20K程度の温度変化の影響は小さいと思われます)。

 地下生物圏とは無酸素の世界です。そこでは酸素(O2)の代りにいろいろな酸化剤が用いられます。たとえば、硝酸イオン(NO3-)が酸化剤(電子受容体)になる場合は硝酸が還元されることになり、結果として窒素(N2)が放出されます。これは硝酸呼吸(硝酸還元、脱窒)と呼ばれる過程で、窒素の地球化学的循環において重要です。また、硫酸イオン(SO42-)が酸化剤として使われる場合は、硫酸呼吸(硫酸還元)という微生物過程により、硫化水素(H2S)が放出されます。他にも酸化型の鉄(Fe3+)を酸化剤に用いる鉄還元という嫌気呼吸過程もあります。東濃地下の堆積岩からはそれらの過程を行う嫌気微生物が見つかっており、研究室で培養されています。

 堆積岩は生物遺骸や酢酸などの有機物を含みますが、花崗岩は火成岩なので無機物ばかりのはずです。無機物世界の地下生物圏には、無機物(CO2)から有機物を自ら作り出す微生物がいます。これは植物が光合成によって有機物を自ら作り出す「光合成独立栄養」の相似であり、光のない“地底の光合成”と呼ぶことができます。“地底の光合成”は光エネルギーの代わりに化学エネルギーを使って有機物を合成します(化学合成独立栄養)。これに必要な化学エネルギーは硫化水素(H2S)などの還元的無機物の酸化により供給されます。ふつうは酸素(O2)で酸化しますが、地下世界では嫌気酸化します。この過程を行う微生物も東濃地下から見つかりつつあります。

 光もなく酸素もない地下の岩石世界。そこでは「嫌気的な化学合成独立栄養」により、無(無機物)から有(有機物)が生まれています。生命活動とは無縁と思われていた花崗岩などの無機物世界にも地下生物圏は広がっているのです。


生命の起源に迫る?

 「嫌気的な化学合成独立栄養」は生命の起源に直結する反応だったかもしれません。硫化鉄(FeS)を硫化水素(H2S)と反応させると黄鉄鉱(パイライト、FeS2)ができ、同時に化学エネルギーが発生します。この化学エネルギーにより有機物が合成されてパイライト表面に集積し、重合や変換を繰返して原始的な細胞が誕生したという「パイライト仮説」が注目されています。原始地球における「生命の起源」の現場は海底熱水噴出孔であったと考えられています。海底の熱水噴出孔にパイライトが沈着しているのを見ると、確かにここで原始生命が誕生したように思えてきます。しかし、原始地球の熱水噴出孔と現在の熱水噴出孔では違う点があります。それは酸素(O2)の有無です。原始地球には遊離の酸素(O2)はほとんどありませんでした。では、現在の地球にあって酸素のない熱水噴出孔はどこにあるのでしょうか?

 地下生物圏は酸素のない世界です。ならば、酸素のない熱水噴出孔とは“熱水噴出孔の地下”のはずです。そこを探れば、原始生命の誕生時に近い環境が残されており、原始生命の形質を残した生物が見つかるかもしれません。私たちは海底熱水噴出孔を掘り抜くことにしました。科学技術庁の支援によりたくさんの大学や研究所が参加して、「アーキアン・パーク」計画と呼ばれる“熱水噴出孔下生物圏の掘削調査”が今年からスタートしたのです。アーキアン・パークとは映画にもなった『ジュラシック・パーク』の転用であり、地質学用語のアーキアン(始生代)と微生物学用語のアーキア(古細菌、始原菌)の掛詞です。原始生命まで迫れるような地下微生物が発見されるのか、成果が楽しみです。



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